よみうりランドモノレールのルートを辿る
2026-03-28― 消えた遊園地モノレールの痕跡を歩く ―
今回ご紹介するのは、かつてよみうりランド内を走っていた読売ランドモノレールのルートと、その廃線跡についてです。
現在のよみうりランドを訪れても、このモノレールの存在を知る人はそれほど多くありません。しかし1960年代、日本のモノレール技術が急速に発展していた時代において、この路線は確かに存在し、園内の移動交通として活躍していました。

廃止からすでに半世紀近くが経過していますが、現在でも園内を注意深く歩いてみると、わずかながら当時の痕跡を見つけることができます。今回は現在の地形や施設配置を手がかりに、読売ランドモノレールのルートを辿りながら、その歴史や技術的背景についても紹介していきたいと思います。

読売ランドモノレールは1964年に開業し、1978年に廃止された遊園地モノレールです。路線は園内を一周する環状線で、駅数は4駅、全長は約3.4kmでした。現在の感覚からすると遊園地内の交通としては比較的長い路線ですが、1960年代当時としても決して小規模なモノレールではありませんでした。
この時代の日本では、モノレールは都市交通の新しい形として大きな期待を集めていました。高度経済成長期の都市化の進展に伴い、道路交通の混雑や都市空間の不足が問題となり、地上交通とは異なる新しい交通システムの開発が模索されていたのです。その象徴的な存在として知られているのが、1964年に開業した東京モノレールです。東京オリンピックに合わせて浜松町と羽田空港を結ぶ路線として建設され、現在でも首都圏の重要な空港アクセス路線として機能しています。
一方で、観光地やレジャー施設においてもモノレールは導入が進められていました。その代表例が1962年に開業した名鉄犬山モノレールです。犬山遊園駅から日本モンキーパークを結び、観光輸送を担うモノレールとして長く親しまれました。
つまり1960年代のモノレールには、大きく分けて二つの方向性が存在していました。一つは都市交通としてのモノレール、もう一つは観光施設やレジャー施設のアクセス交通としてのモノレールです。読売ランドモノレールはその中でも、遊園地内部の移動交通として建設された路線でした。東京モノレールのような都市幹線ではなく、犬山モノレールよりもさらに施設内部の交通に近い役割を担っていた点が特徴です。しかし全長3.4kmという規模は単なる遊園地アトラクションとしてはかなり長く、当時のモノレール技術を実際に運用する場としての意味も持っていました。

それでは実際に、当時のルートを辿ってみましょう。
モノレールの起点となっていたのは、現在のよみうりランド慶友病院の位置に存在していた読売ランド駅です。この駅は路線の中心駅として建設され、駅舎と建物が一体化した構造を持っていました。現在では建て替えられてしまいましたが、モノレール廃止後にはこの建物がゴーカート施設「サーキットギャング」として再利用されていた時期もありました。こうした施設の転用もまた、遊園地の歴史を物語る一つのエピソードと言えるでしょう。

読売ランド駅を出たモノレールは、よみうりランドの正門付近を通過し、次の駅である駐車場駅へ向かいます。

この区間では現在でもモノレールの痕跡を比較的見つけやすく、立体駐車場とクリニックモールの間にある平面駐車場では、支柱跡と考えられるアスファルトの補修跡が確認できます。およそ20メートル間隔で並ぶ舗装の違いは、かつてここにモノレールの支柱が並んでいたことを示していると考えられます。さらに法面の形状にもわずかな段差が残されており、当時の軌道が通っていた地形の名残を確認することができます。

駐車場駅を過ぎると、モノレールは花ハウス付近を通過し、音楽堂駅へ向かいます。

この駅は後にサッカー場駅へと改称されました。駅の隣には車庫が設置されており、ここには路線唯一の分岐器が存在していました。この分岐器は日立製作所製のHAW-17G-Bという三線分岐器で、モノレール技術の中でも特徴的な設備の一つです。

モノレールにおいて分岐器の設計は非常に難しい課題です。通常の鉄道ではレールを切り替えることで進路を変更しますが、モノレールでは走行桁と案内装置の両方を同時に処理する必要があるため、構造が複雑になります。この装置には「間接可撓式分岐器」と呼ばれる方式が採用されており、基本の桁構造と案内面が独立して動く仕組みになっていました。これにより、分岐時でも乗り心地を損なわないよう設計されていたのです。
さらにこの音楽堂駅からは、小田急線のよみうりランド駅まで延伸する構想も存在していました。この計画は単なるアイデアではなく、実際に免許申請まで行われていた正式な計画です。もしこの延伸が実現していれば、遊園地内の環状モノレールに加えて鉄道駅へ接続する路線となり、かなり規模の大きなモノレールネットワークになっていた可能性があります。

音楽堂駅を出たモノレールは、サッカー場の脇を通りながら切土区間へ入ります。この区間は路線の中で唯一、地形を掘り下げて軌道を通した場所でした。現在では周囲の植生が成長しており、外からその形状を確認することは難しくなっています。

さらに進むと、路線最大の構造物である二つの橋梁がありました。第一橋梁と第二橋梁です。特に第二橋梁は読売ジャイアンツ球場のバックスクリーン裏を通過する構造で、球場の塗装に合わせて緑色に塗られていた時期もありました。これらの橋梁は長い間遺構として残されていましたが、最終的には2007年頃に撤去されています。


橋梁を渡るとモノレールはスキー場駅に到着します。この駅名は当時存在していた読売スキーセンターと、ジャンプ台である読売シャンツェに由来しています。ジャンプ台はその後パラシュートタワーとして再利用されました。

その後モノレールは園内を回り込み、再び読売ランド駅へ戻ることで、約3.4kmの環状路線を形成していました。


現在では遺構の多くが撤去され、当時の姿を直接見ることは難しくなっています。しかし舗装の補修跡や地形の変化、わずかに残る構造物などから、かつてのルートを想像することは可能です。
よみうりランドを訪れる機会があれば、ぜひこのモノレールの存在を思い浮かべながら園内を歩いてみてください。普段見過ごしていた風景の中に、思いがけない交通史の痕跡が見つかるかもしれません。
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文・写真:田村拓丸(たむら たくまる)
モノレール専門家 / MJWS(Monorail Japan Website)代表。NPO法人多摩モノレールとまちづくり理事。モノレールを中心とした都市交通・新交通システムの調査研究と専門情報発信を行う。国内外のモノレール路線の現地調査、技術解説、歴史資料の収集・整理を継続しており、自治体・関連団体との連携による講演、資料提供、映像・写真提供などにも携わっている。
