地域と寄り添う沖縄のモノレールの歴史

地域と寄り添う沖縄のモノレールの歴史

2021-11-30 0 投稿者: mjws編集

ゆいレールは2003年に開業しました。それまで、沖縄県には鉄道が走っていなかったのです。交通手段は、自動車やバスが主流でした。そんな中で、新たな交通の要として沖縄都市モノレール、ゆいレールが開通したのです。今では県民や観光客の重要な交通機関として利用されています。ゆいレールは、どのような経緯を辿ってここまで発展したのでしょうか。この記事では、沖縄都市モノレール線ゆいレールの歴史と展望を解説します。

ゆいレール (c)Adobe

1.計画から建設まで

大正時代頃まで沖縄にも軽便鉄道や路面電車が存在していました。しかし、バスの運行が始まってからは鉄道の利用客が減っていき、昭和初期にどちらとも廃止になってしまいます。戦後にアメリカの支配下に入ってからは、経済の活性化によって本島南部で工業が発展していきました。発展に伴い、那覇市及びその周辺の道路は慢性的に渋滞するようになってしまいます。市民からは新たな交通機関の建設を求める声が増えていったのです。

政府は、県と市や、各庁と連携して新たな交通機関の計画を進めていきました。そして、1972年に都市モノレールの整備の促進に関する法律に基づいて、モノレールの建設が正式に決定しました。10年後の1982年に沖縄都市モノレール株式会社を設立したのです。高良(たから)(現:赤嶺(あかみね))から首里汀良町間の建設特許も申請を行い、いよいよ本格的に開業に向けて動き始めました。

しかし、閣僚の中には採算が取れるかを疑問視する声もありました。「開業までにマイカー通勤が定着しているのではないか」、「赤字になるのは必須」などといわれていたのです。
しかし12年後の1994年に県と市、バス会社で基本協定が締結。1995年に特許が再提出され、1996年に着工が正式に認められました。

2.建設から開業まで

同年11月、起工式が行われました。県民及び、市民の新たな交通の足となるために建設が本格的に始まります。建設作業は那覇市と浦添市で行われました。しかし、建設現場が沖縄戦の激戦地であったことから、建設作業中にいくつかの不発弾が発見されて処理されたのです。1999年には駅設備の建設も始まり、建設作業も大詰めとなりました。

3年後の2002年に建設工事が完了し、試運転が行われました。多くの工事関係者らが見守る中で行われた試運転でしたが、問題なく終わりました。そして、翌年の2003年にゆいレールは開業。多くの市民から歓迎される中で、1番列車が出発しました。

3.利用客数と延伸計画

華々しく開業したゆいレールですが、利用客数はどうなっているのでしょうか。
開業当初の2003年度の利用客数は700万人程度まで増えました。翌年の2004年度には1100万人程度と1000万人台を突破し、それから15年後の2019年度には1900万人程度と、2000万人近くまで増加したのです。

ゆいレール (c)Adobe

このデータから見るように、利用客数は年々増加しています。利用客が増加した理由は、市民だけではなく観光客も利用しているためです。路線の延伸計画が県や企業で持ち上がりました。協議の末、2011年に首里~てだこ浦西間の建設特許が申請され、2012年に受理されました。当初の開業予定時期は2019年の春でしたが、土地取得などの遅れから工事が遅れて2019年の秋に延期されました。

そして予定通り、同年の秋に首里~てだこ浦西間の延伸区間が開業しました。今後は沖縄市までの延伸計画や、赤嶺から糸満までの延伸計画も存在します。しかし、いずれも未定です。中には、さらなる利便性を求めて那覇市内にLRT(ライトレール)の建設を求める声もありました。

ゆいレール (c)Adobe

まとめ

沖縄県民および那覇市民の新しい交通機関として計画され、開業したゆいレール。開業前は採算性を不安視する声もありました。しかし開業後は利用客数が年々増加していき、今となっては市民や観光客の足として重宝されています。さらなる延伸計画も進められており、これからもゆいレールは地域に沿って発展して行くでしょう。