モノレールの歴史・最初の一歩から現在へ
2024-05-29はじめに
モノレールは、一本のレールや桁に跨ったりぶら下がったりして人や物を運搬する交通システムとして、近代都市交通において重要な役割を果たしています。その発展の歴史は、技術革新と都市の成長に密接に関連しています。本稿では、モノレールの歴史を最初の一歩から現代に至るまで紹介します。
初期のモノレール
モノレールの最初の形態は、1824年にロンドンで導入されました。
ヘンリー・ロビンソン・パーマー(Henry Robinson Palmer)は、19世紀初頭に活躍したイギリスの技術者で、モノレールの先駆者とされています。彼の発明は、現代のモノレールの基本的なコンセプトに影響を与えました。
1821年にパーマーは、一本のレールに沿って車両を走らせるシステムを考案し、これが後に「モノレール」として発展する基礎となりました。
木製の支柱に貨物を吊り下げ、馬で牽引するシステムでした。この初期のモノレールは、現在のような高速かつ効率的な交通手段とは異なり、主に貨物の輸送を目的としていました。しかし、この技術が後に進化し、都市交通の一翼を担う重要なシステムとなる基礎を築いたのです。
19世紀から20世紀初頭のモノレール
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アメリカやヨーロッパ各地でモノレールの開発が盛んに行われました。蒸気式、電気式、ジャイロ式、ガソリンエンジン式など、さまざまな方式のモノレールが試みられました。この時期、技術者たちは効率的で信頼性の高い交通手段を模索しており、モノレールはその一環として注目されていました。
当時の技術として特にユニークだったのがジャイロ式モノレールです。ジャイロ式モノレールは、モノレール車両の安定性をジャイロスコープ(回転するジャイロ)を利用して確保するという独特の方式を採用しています。通常のモノレールは、軌道桁の上に跨るか、軌道桁にぶら下がる形式ですが、ジャイロ式モノレールは一本のレールの上に車両をバランスさせるためにジャイロスコープの力を活用します。
ジャイロ式モノレールの概念は、20世紀初頭に発明されました。その代表的な開発者には、ドイツの技術者オーガスト・シュレーバー(August Scherl)と、イギリスの技術者ルイス・ブレナン(Louis Brennan)がいます。ブレナンは特に著名で、彼の設計したジャイロスコープ式モノレールは、車両が単一のレールの上を安定して走行するために、回転するジャイロスコープを用いました。
ルイス・ブレナンは、ジャイロスコープの原理を応用してモノレール車両を安定させるシステムを開発しました。彼のモノレールは、一本のレールの上を走行し、車両内部に設置された高速で回転するジャイロスコープが、車両のバランスを取る役割を果たしました。1909年、ブレナンはこの技術を用いた試作車両を製作し、その性能を実証しました。ブレナンのジャイロモノレールは、曲線をスムーズに通過し、地形の変化にも対応できることが確認されました。
ジャイロ式モノレールは、実用化には至りませんでしたが、その技術的な挑戦は現代の交通システムにも影響を与えています。特に、バランスや安定性の確保に関する技術は、他の交通手段や移動システムに応用されています。例えば、現代の自動運転技術やドローンの安定化システムなどにも、ジャイロスコープの原理が応用されています。
ドイツのブッパタール懸垂式モノレール
1901年にドイツのブッパタールに建設された懸垂式モノレール(ランゲン方式)は、モノレールの歴史において特筆すべき存在です。このモノレールは、軌道桁の下に車両を吊り下げて運行する方式で、現在でも活躍中です。ブッパタールの懸垂式モノレールは、その安定性と信頼性から、都市交通における重要な役割を果たし続けています。
日本のモノレールの黎明期
日本では、20世紀前半にもさまざまなモノレール構想がありましたが、実現には至りませんでした。転機が訪れたのは1951年、東京の豊島園に約200mの円周路線を持つ懸垂型モノレールが遊具として建設された時でした。1957年には、東京都交通局が上野公園内に懸垂型モノレールを建設し、路面電車に代わる都市交通手段としての実験が行われました。
東京都上野懸垂線は、1957年に開業した懸垂式モノレールで、上野公園内を走行していました。このモノレールは、当時の東京都交通局によって建設され、主に路面電車に代わる都市交通手段としての実験目的で導入されました。上野懸垂線は全長300メートル程度で、動物園の東園と西園を結んでいました。開業当初は、懸垂式モノレールの技術を実験し、その効果を検証するために多くの注目を集めました。モノレールの運行は、来園者にとっても魅力的な移動手段となり、主に観光目的で利用されました。
東京モノレールの登場
日本で最初に本格的な公共交通機関として建設されたモノレールは、東京モノレールです。1964年10月の東京オリンピック開会直前の同年9月に、浜松町駅から羽田空港間で運行を開始しました。このモノレールは、当時ドイツで開発が進められていたアルヴェーク式モノレールの技術を導入して建設されたものです。東京モノレールは、モノレールが公共交通機関として実用化できることを示し、その後の日本各地でのモノレール建設の先駆けとなりました。
1960年代のモノレール建設ブーム
1960年代には、奈良ドリームランド、犬山遊園、読売ランド、名古屋東山動物園、向ケ丘遊園、横浜ドリームランド、姫路市などで、さまざまなタイプのモノレールが建設されました。これらは海外からの技術導入や日本企業による独自開発によるものでした。この時期、日本は高度経済成長期にあり、都市化の進展とともに新しい交通システムの需要が高まっていました。モノレールはそのニーズに応える形で各地に導入されました。
モノレールのタイプ
現在、モノレールは大きく2つのタイプに分けられます。
- 跨座型モノレール:
• 軌道桁に跨ってゴムタイヤで運行されるタイプ。 - 懸垂型モノレール:
• 鋼製の軌道桁にぶら下がってゴムタイヤで運行されるタイプ。
これらのタイプは、過去に試みられたさまざまなモノレールの中から淘汰され、現在に至っています。跨座型モノレールは、その安定性と大量輸送能力から都市部で広く採用されています。懸垂型モノレールは、急勾配や狭い空間での運行に適しており、特定の条件下で有効です。
社会資本整備総合交付金とモノレール
日本では、モノレールの建設に社会資本整備総合交付金が重要な役割を果たしています。この交付金は、地方公共団体が地域のインフラ整備を効率的かつ効果的に行うための国の補助金であり、モノレールの支柱や桁、駅舎の骨格など「インフラ部」の建設費用を国庫補助で賄うことができます。これにより、地方自治体は経済的な負担を軽減しながら、モノレールの建設を進めることができます。
モノレールの未来
未来のモノレールは、さらに進化し続けるでしょう。新しい技術の導入や環境に配慮したシステムの開発により、モノレールはより効率的で持続可能な交通手段となることが期待されています。特に都市の再開発や新しい都市計画において、モノレールは重要な役割を果たすことになるでしょう。
モノレールは環境に優しい交通手段としても注目されています。電力で運行するため、排出ガスが少なく、都市の大気汚染を減少させる効果があります。また、高架式のため地上の土地利用を最小限に抑えることができ、緑地や歩行者空間を確保することが可能です。これにより、都市の生活環境の向上に貢献しています。
持続可能な都市交通の実現に向けて、モノレールは重要な選択肢の一つとなります。再生可能エネルギーを利用した運行や、エネルギー効率の高いシステムの導入により、モノレールは持続可能な都市交通の一翼を担うことができます。また、交通渋滞の緩和や公共交通機関の利便性向上に寄与し、住民の生活の質を向上させることができます。
世界のモノレール
日本だけでなく、世界各地でもモノレールは導入されています。例えば、アメリカのラスベガスモノレールや、マレーシアのクアラルンプールモノレール、ブラジルのサンパウロモノレールなどがあります。これらのモノレールは、それぞれの都市のニーズに合わせて設計・運行されており、地域社会に大きな利益をもたらしています。
さいごに
モノレールの歴史は、1824年のロンドンでの初の試みから始まり、さまざまな技術革新と試行錯誤を経て、現代に至ります。日本では東京モノレールの成功を皮切りに、全国各地でモノレールが導入されました。
モノレールは、都市交通の効率化と環境改善に寄与する重要な交通手段として、今後もその役割を果たし続けることが期待されています。持続可能な都市の実現に向けて、モノレールの技術と運行システムは、ますます重要性を増していくでしょう。
文章 田村拓丸/MJWS
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記事・編集/MJWS 田村拓丸