熱海モノレール そのルートと概要

熱海モノレール そのルートと概要

2021-09-07 0 投稿者: mjws編集

熱海モノレールとは、1960年代に計画が存在したアルウェーグ跨座型のモノレール路線計画。熱海駅前に位置する熱海第一ビルの地下に設けられた始発駅 熱海駅より、熱海港やアタミロープウェイ乗り場付近までの1.9kmを繋ぐ路線として計画されました。

熱海モノレールの始発駅が地下4Fに残されているという熱海第一ビル

1.熱海モノレール

1962年5月、現在の東京モノレール社である日本高架電鉄や日立製作所が出資する、熱海モノレール株式会社が設立されました。会長には、名古屋鉄道と共に日本へアルウェーグ式モノレールを導入した犬丸徹三氏が就任、社長に日本高架電鉄副社長の城戸久が就任し発足。当時の運輸省は1963年 昭和38年に同モノレール路線の敷設を許可し、熱海モノレール路線は正式なものとなりました。

海岸線をメインルートとして計画された熱海モノレール 画像は当室作成イメージ

2.熱海モノレールのルート

熱海モノレールの当初路線計画は、熱海駅からアタミロープウェイ乗り場までの、営業距離2.1kmの路線として立案されました。その後1965年に計画の若干の変更が申請され、1.9kmの路線へと変更されています。なお、いずれもモノレールシステムは日立アルヴェーグ式モノレールを採用する事となっていて、親会社である東京モノレール社の営業車両をトレースする予定もしくはその設計を流用するつもりだった事が容易に伺えます。

熱海第一ビルの地下3~4階に設けられるはずだった起点駅 その想定図 (c)mjws.org作成

熱海第一ビルの地下3~4階に設けられるはずだった起点駅、熱海駅を出発したモノレールルートは、直後の80‰近くに達する地下トンネルをくぐって海岸線に到達。ここで大きく進路を左にとり、以降は海岸線を横断していく形で熱海港を目指していきます。

なお、熱海第一ビルから海岸線に出る下り勾配において、熱海モノレールでは最大勾配となる90‰を記録します。余談ですが、熱海モノレールのルートは熱海駅を出た直後から若干のカーブを描きながら下ってきます。このため90‰ですんでいますが、仮に直線的に下ってくると110~120‰近い勾配となってしまう事が下の図からわかります。

熱海駅から海岸までの標高 Google Earthより

現在砂浜となっている部分もモノレール計画立案当時は完全に海上でしたので、完成していれば海の上を走るモノレール、というイメージとなっていた事でしょう。なお、モノレールと海という組み合わせはミスマッチなイメージを抱いてしまいますが、開業当時の東京モノレールについても状況はほぼ同じでした。現在でこそ造成や構造物が連立する東京モノレールのルートですが、当時はまさに会場を走るモノレール だったのです。

熱海モノレールには銀座、公園前と海上に途中駅が設置される事も計画されていました。これら中間駅を経由した熱海モノレールは、終点となる熱海港付近に到達します。以上、全4駅、営業距離1.9kmの短距離路線として熱海モノレールは計画されました。

3.熱海モノレールのモノレールシステム、営業車両

熱海モノレール計画立案と並行する期間、1964年9月17日には現在の東京モノレール羽田空港線が開業。同年の開業に合わせる形で、日立製作所では東京モノレール営業車両100形、200形、300形、350形の4形式の製造を実施しました。先頭専用車両である100形は中間用車両である200形を挟み込む形で運用。300形も同じく先頭車ながら、300形、200形、350形または350形、200形、300形という組成で運用されました。

熱海モノレールについては、起点駅となる熱海第1ビルの奥行きが、先ほどの東京モノレール営業車両の組成での3両編成を入れ込むサイズしかない、つまり6両編成での運用は想定していなかったと想定されるため、100形と200形による3両編成がイメージに近いのではないかと想定されます。

東京モノレール初代営業車両模型

4.熱海モノレールとアルウェーグ式モノレール

日本導入の日立アルウェーグ式モノレールは東京モノレールへの導入が初めてではありません。東京モノレール開業から遡る事1962年3月、熱海モノレール社の会長でもある帝国ホテル 犬丸徹三氏が発起人となり、名鉄と日立製作所と共同する形で、犬山ラインパークモノレール線を開業させます。その後名称をモンキーパークモノレール線へと変えた同線は、残念ながら2008年12月27日に廃線となっています。同線では熱海モノレールで採用する計画だった勾配以上となる、再急勾配97‰を持つ路線となっていて、熱海モノレール熱海駅から海岸線へ出る区間の勾配値、90‰についてはまったく問題の無い数字であった事がこの路線からわかります。

日立アルウェーグ式モノレールは当時、2軸車方式を採用したモノレールシステムでしたが、後1969年に運行を開始した500形車両より、15mのボギー車へ更新されていく事となりました。

日立製作所と東京モノレールが開発したボギー車は、今も東京モノレールや国内のモノレールシステムに受け継がれている。

このボギー車の登場によって、後の万博モノレール、北九州モノレールを皮切りとする日本跨座式モノレールシリーズへと変貌を遂げ、多くの路線が日本国内で開業していく事となります。今回の動画は熱海モノレールが主体ですので、このあたりについてはまた別の動画で紹介したいと思います。

5.熱海モノレールのその後

熱海モノレールとはというとその後、計画変更の翌年となる1965年、工事施行認可申請期限の延長を申請するも、以降着工する事はなく、読んで字のごとく未成線となりました。熱海モノレールと対として語られる熱海第一ビルについてはその後、1967年3月に完成、地下3~4階にモノレール駅を残す駅前ビルとして、鉄道や未成線ファンに知られる存在となっていきました。

熱海第一ビルからJR熱海駅に繋がる地下通路、ここに熱海モノレール熱海駅の入口が作られるはずだったのではないかと言われている。

最後に

さて今回は、熱海モノレールの概要・ルートを紹介しました。今でも地下にホームがあるのかないのか、入口はどこにあったのか、または計画されていたのかと、多くの謎を残す熱海モノレール。当室でも可能な範囲で調査を続けていきますので、引き続き見守っていただけると幸いです。

現在シリーズもとして、熱海モノレール熱海駅の入口を調査する企画をYoutubeで配信中です。ご都合ある方がいらっしゃいましたが視聴いただけると幸いです。