熱海モノレール(未成線)のルートと概要(歴史)
2022-05-04かつては日本有数の温泉地と呼ばれた熱海、実はこの地にモノレール開通計画があったことをご存じでしょうか?この記事では未成線となってしまった「熱海モノレール」のルートと歴史について詳しく解説いたします。
熱海モノレールとは?
熱海モノレール(あたみモノレール)は、かつて熱海駅-熱海ロープウェイ乗り場間または熱海第一ビル地下-熱海港を結ぶ路線として計画されていたモノレールを運行することを目的として設立された鉄道会社です。東京モノレールと日立製作所が提携し、日立アルヴェーグ式モノレールを使用する予定でしたが、最終的には計画中止、未完成となってしまった歴史があります。
熱海モノレールの歴史
結果的に未成線となってしまった「熱海モノレール」その歴史はどのような内容だったのでしょうか?ここではその計画開始から計画中止、および現在のモノレールの跡地などについて詳しく解説します。
計画時は2社がそれぞれ計画していた
東海道新館線の開通により熱海観光客増加が想定されたことから、1962年4月、高野建設(現前田道路)傘下の東方観光開発が熱海駅と熱海港間の地方鉄道敷設免許を申請しました。しかし、1か月後、日本高架電鉄(現在の東京モノレール)が出資した熱海モノレールも、ほぼ同一ルートの地方鉄道敷設免許を申請、結果競合となってしまった。どちらも跨座式鉄道の鉄道ですが、東邦観光開発は東芝タイプの単線、熱海モノレールはアルヴェーグ式の複線(単線並列)でした。
最終的に熱海モノレールの申請は1963年12月に認可されましたが、逆に東邦観光開発の申請は、会社の輸送能力や資金力不足などの理由で却下されています。
熱海モノレールの運行内容
運輸省が認可した熱海モノレールの計画によると、運行区間は2.07kmです。方法は日立アルヴェーグ式モノレール車両を採用しています。出発点は熱海駅に隣接する地下鉄駅で、下り勾配90‰でトンネル区間、地上に出て熱海湾に沿って走行、終点である熱海ロープウェイホームまで向かう計画でした。
終点に向かう途中に2つの駅があり、どちらも海上で建設される予定でした。1962年の免許申請書(昭和37年)に添付されている運転表によれば、運転時間帯は9〜22時とされており、最高速度は55km/hとなっており、駅区間はすべて5分としていました。名鉄モンキーパークモノレール線のMRM100/200型と同じ3両固定編成で最大195人収容できるようになっており、運賃は一律100円を予定されていました。その後、1965年(昭和40年)に起業目論見書記載事項に記載されている項目の変更申請を実施、駅名・場所・ルートの変更と営業距離を2.07kmから1.84kmに変更となりました。
また、熱海モノレール会長兼東京モノレール社長の犬丸徹三氏は、将来的には東京モノレールを熱海まで延長し、熱海モノレールに接続する意向を示していました。
反対派の影響や資金面の問題で何度も計画変更
熱海モノレールは熱海駅前から海岸線までトンネルを建設するため、周辺の旅館や別荘の所有者から振動・景観の破壊・温泉がなくなる不安などの理由から、強く反対されていました。また、海上駅を建設することに対し、埋め立て地や海に立つレールの柱を作ることが、環境破壊・美観を損なうとの批判も多くなっていました。そのため、当時はルートの変更、海上駅の数の削減、海上駅の埋め立て地の最小化、陸と駅の埠頭との接続などの計画が検討されていました。また、財政難の影響もあり、建設を第1期と第2期に分割する計画も出ていました。
1963年12月に運輸省に承認されてから約1年半で完成する予定だったが、1967年頃まで混沌は続いていました。その間、ルート上の地域の測量が行われていましたが、その間工事されたのは、熱海モノレールのオーナーである熱海市から4000万円で購入した熱海第一ビル地下3階のホーム建築工事のみでした。
最終的に計画中止となった背景
また、1950年(昭和25年)には、熱海駅周辺で2件の大火事が発生、これに伴う復興区画整理事業により駅前の交通整備を実施した結果、渋滞で交通が麻痺し、観光客や地域住民の生活に支障が発生しました。
そのため、熱海市は駅前の道路整備が必要となり、この影響でモノレール地下駅予定地を駅前広場の地下室から熱海第一ビル建設予定地の地下への変更を余儀なくされました。
1965年(昭和40年)、1.84kmのルートを少し陸側に移動し、駅の場所と駅名に関する起業目論見書記載事項に記載されている項目の変更を申請しました。1967年3月31日(昭和42年)、熱海第一ビルは地下3階、地上9階の高層ビルとして完成、その地下3Fにモノレール駅を設置しましたが、完成したのはこのビルの地下の駅のみで、その後の進展はありませんでした。
その理由は、「トンネル予定地の地質が複雑」、「トンネル予定地の温泉源や厚生省(現厚生労働省)が保有する水源への影響懸念」「熱海モノレールの出資者の経営難の顕在化」があったためと言われています。
1964年11月12日(昭和39年)と1965年11月30日(昭和40年)と2回、工事施行認可申請期限の延長を申請するものの、結果、それ以上の本格的着工ができないまま、モノレール計画は消滅してしまいました。
現在は駅ビルが残るのみ
現在もモノレール計画の唯一の建物である「駅ビル」は残っています。建物は現在、店舗やオフィスが入居しています。地下1階は商店街とバスターミナル(現駐車場)、地下2階は駐車場、地下3階は機械室とモノレール駅となっており、熱海モノレールの本拠地は今も眠っていて、愛好家の間で話題になっています。ビルの管理会社に取材したところ、モノレール駅のある場所は封鎖されており入場できないとのことでした。地下3階なので他の用途に転用できなかったようです。
計画されたモノレール基本情報
最後に当初計画されていた熱海モノレールの路線情報について解説します。
路線データ
計画された路線データは下記のとおりです。
項目 内容
路線距離(営業キロ) 旧ルート2.07km、新ルート1.84km
方式 跨座式(日立アルヴェーグ式)
駅数 4駅(起終点駅を含む)
複線区間 全線(ただし、熱海駅は新ルートでは構内は単線)
電化方式 不明
閉塞方式 不明
最高速度 55km/h(表定速度:30km/h)
モノレールルート
計画されたモノレールルートは下記のとおりです。(計画変更前後有)
旧ルート 熱海駅前 – 海上ホテル前 – 糸川 – ロープウェイ前
新ルート モノレール熱海 – 銀座 – 公園前 – 熱海港
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記事・編集/MJWS 田村拓丸